言葉にする

2025/04/18
mimi 2025.04.18
誰でも

きのうロードバイクに乗りはじめたとき、ちょうど向こう側から男性がふらふらっとやってきたのでよけたら、「バカヤロウ」とドスのきいた声で言われた。 はぁ~と思ったけどその数分後に目の前にしょっぱいにおいの海が広がったから、心も平穏になった。 戻ってきて自転車のタイヤを外していると、通りかかった男性がにこっとしてきたので「こんにちは、暑いですね」と言ったら、「いいね、これ軽いんでしょう?」と自転車を指さす。いっしょにいたひとに「気持ちよさそうだよねぇ」とニコニコ話しながら車に乗り込んで去って行った。ほこほこした感じがした。  

3月に実家に帰ったとき、寝ようとしていたら呼び出された。「ずっと忙しくて子育ても大変で、辛い思いばっかりしてきたなぁ」と、またいつもの話を繰り返される。 麻酔医の話になったので次女が緊急入院になったときのエピソードを話したら「そんなこともあったんや」。覚えてないのか。あのとき助けて欲しい、と言ったけど「頼らないで」と言われたんだけどな。まあ、覚えてないものなんだよなと思った。 私は「お母さんは私のことを、かわいそうだという。今日もこの会話のなかでもう5回ぐらいその言葉を使っている。でも私は自分をかわいそうだと思っていないので、かわいそうだと言われると悲しいので、言わないでほしい」と言った。 「たとえばお母さんに親しい人がいるとして、その人が、家にくるたびに、あなたはかわいそう。娘さんが遠くにいて会えなくてと繰り返し言われたらどう?」と言ったら、「ああ、もっとそばにいたらええなあ。遠いから寂しいしな」というので、たとえ話を間違えたと思ったけど、私のこの気持ちは、伝わらないんだろうなと思った。でも、父もいるその場所で、言うことができてよかった。

寝る前に、母が眠る部屋のふすまをあけて、「まあ、かわいそうって言ってもいいよ」と言った。そのあとマッサージをした。うつぶせになった母の肩甲骨をさわると、板みたいに薄っぺらかった。

ゆうべ考えていた。通りすがりの人も、遠くに暮らす母も、いや、ともに暮らす家族だって、その口に入ったものがどういう味をしているか、同じものを食べても自分とは感じ方が違うはずだ。目の前に広がる空だって、違うふうに受け止める。だから言葉にする。同じなのかな、違うのかな、と問うように。

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